べらぼう第24回「げにつれなきは日本橋」は、2025年6月22日(日)19時15分という変則スケジュールでの放送でした。
目次
📺 ドラマ「べらぼう」登場キャラ:松前廣年(ひょうろく)
キャラクターと演じる“ひょうろくさん”について
- 廣年は松前道廣(えなりかずき演)の弟で、吉原には不慣れ。繊細で真面目な性格ゆえ、花魁・誰袖に手を握られた瞬間に混乱するなど、内面の動揺が強く演じられます。
- 俳優・ひょうろくさんは、お笑い出身ながら、演技にも真摯に向き合い、自身もイラストや書道好き。廣年の初登場時の冷や汗演技は素の緊張感が反映されているそうです。
- 一方、兄・道廣と同等に渡り合おうとする器もあり、兄弟関係の微妙な駆け引きにも注目です。えなりかずき演じる兄との“DNA”やバランス感も話題に。
📜 第24回「げにつれなきは日本橋」あらすじ
- 松前兄弟絡みの動き
廣年は、吉原での商取引のため誰袖に接触。福原遥演じる花魁・誰袖の策略に翻弄されながら、兄・道廣との関係にも影響を与えていきます。
- 蔦重の日本橋出店計画との接点
廣年は意知(宮沢氷魚)らによる“琥珀の直取引計画”の一環として、東作と橋渡し役を担い、抜荷疑惑の解明と利権の中継点として動いています。
このように、廣年は兄・道廣の陰にいる存在と思いきや、自ら関与し、誰袖の誘惑に揺れる内的葛藤が今後の鍵となります。
以下、松前道廣と廣年(蠣崎波響)について、史実を交えつつ解説します。
🏯 松前道廣(まつまえ みちひろ)— 蝦夷松前藩第8代藩主
- 出生と幼少期
1754年(宝暦4年)2月8日生まれ。7代藩主・資広の長男として誕生し、1765年(明和2年)、12歳で家督を継ぎ蝦夷地の松前藩主となります。 - 文武両道と奔放な性格
文武に優れ、とくに馬術の腕は“右に出る者なし”とも称されましたが、遊興費がかさみ、吉原遊女を妾に迎えるなど奔放な生活を送ったため、藩財政は逼迫。幕府からたびたび注意を受けました。 - 蝦夷地の警備と隠居処分
1789年(寛政元年)、国後島・目梨地方で発生したアイヌの反乱を鎮圧し、その後1796年にはイギリス船“プロヴィデンス号”に対して見境なく出陣するなど独断的な外交姿勢を見せました。その結果、1792年(寛政4年)に長男・章廣に家督を譲り隠居。さらに1807年(文化4年)、永蟄居という厳しい処分を受けます。 - 最晩年と死去
その後、1821年(文政5年)に謹慎を解かれましたが、江戸には戻ることなく、1832年(天保3年)6月20日、79歳で没しました。
🎨 松前廣年(まつまえ ひろとし)= 蠣崎波響(はきょう)
- 出自と養子入り
1764年(宝暦14年)6月25日生まれ。道廣の異母弟として生まれ、後に蠣崎広武の養子となり、松前藩家老となりました。 - 画家としての修行と活躍
若い頃から絵の才能を示し、江戸に出て南蘋派の名手・建部綾足、宋紫石に師事。1791年(寛政3年)、アイヌ首長らを描いた《夷酋列像》を携え上洛、光格天皇の前で天覧されました。 - 梁川移封と復藩運動での役割
1807年(文化4年)の蝦夷地取上げに伴い、廣年も陸奥国梁川へ移封。その後、松前復藩運動で自作の絵を財源・贈答品として活用し、1821年(文政4年)の復藩に貢献しました。 - 最期
1826年(文政9年)6月22日、63歳で江戸で没しました 。
🎭 ドラマ「べらぼう」における廣年(ひょうろくさん演)
- 俳優“ひょうろく”さん演技
ドラマでは、ひょうろくさんが松前廣年役を演じ、実際の史実に近い人物像をベースに“画家の素養”や“吉原での内面葛藤”が描かれています。 - フィクションとの融合
ドラマ内では吉原の大文字屋との絡みや誰袖との関係性などが展開されますが、これらは創作です。ただし、史実の“画業による復藩貢献”や“藩政移封”といった要素を生かしつつ、人物像に厚みを持たせている点は高く評価できます。
🔍 総評
観点 | 評価 |
---|---|
歴史との整合性 | 道廣・廣年ともに史実にしっかり基づく人物。道廣の奔放な藩主像、廣年の画家・藩重職という立場はドラマでも反映されています。 |
ドラマ独自の脚色 | 吉原でのエピソードや人間関係など、物語としての厚みを持たせる工夫が見られ、フィクションとして成功しています。 |
俳優と役柄の相性 | ひょうろくさんは画家としての内省的キャラを自然に演じており、史実をうまく表現している印象です。 |
✅ まとめ
- 松前道廣:12歳で藩主就任、文武を究めるも奔放な生活から幕府により隠居・永蟄居。79歳で没。
- 松前廣年(蠣崎波響):藩主弟、名画家として活躍。1807年に移封、松前復藩に絵で大きく貢献し63歳で没。
- ドラマ表現:歴史に忠実ながら、吉原などでの交友・葛藤を創作加味し、人物像に奥行きを与えています。
史実とドラマが絶妙に融合していることで、視聴者としては歴史への興味も深められつつ、ドラマとしての感動や人間ドラマも味わえる作りになっていると言えるでしょう。